大洗あんこう鍋の歴史を紐解く

『大洗あんこう鍋』と言えば、それを目当てに毎年大勢の人が訪れる大洗を代表する冬の名物料理だ。毎年11月に開催される『大洗あんこう祭』には、全国から10万を超える人が訪れ(2016年には約13万人が来場)、大きな盛り上がりを見せている。町おこしの一環として誕生した背景を持つ『大洗あんこう鍋』。その歴史をたどる。

大洗あんこう鍋、始まりのきっかけは町おこしのイベント開催から。

大洗観光協会専務理事 佐久間さん

夏こそ海水浴客で大勢の観光客が訪れる大洗だが、夏以外の集客を確保することが昔からの課題だった。そんな中、町を盛り上げようと始まったのが町主催による『大洗あんこう祭』だ。第一回は平成10年(1998年)3月に自転車競技のMTBのイベントと抱き合わせという形で開催された『大洗あんこう祭&大洗サンビーチMTBチャレンジ』。このイベントの中で「あんこう汁」が無料で振る舞われ(現在は有料)好感触を得た。翌年の平成11年(1999年)3月に第二回を開催。確かな手応えを感じていた。

JCO臨界事故(平成11年)による風評被害。危機感から強い結束が生まれて。

現在の企画実行委員会 委員長
飯田さん

肴屋本店 大里明さん
(大里全さんの長男)

大洗あんこう鍋を語る上で、はずせない出来事がある。平成11年(1999年)9月に勃発したJCO臨界事故だ。JCO臨界事故とは、大洗町から25kmほど離れた株式会社ジェー・シー・オー(東海村)で起こった、日本で初めて事故による被曝死亡者を出した原子力事故(臨界事故)のことである。これにより事故後の数ヶ月間は宿の予約のキャンセルが相次ぎ、宿泊客が激減するという風評被害が発生した。
この時の危機感が宿の強い結束を生んだ。『大洗あんこう祭』とは別に同年12月、「大洗旅館組合」「大洗町民宿組合」「大洗観光協会」らのメンバーが中心となって、企画実行委員会が立ち上がる。あんこう鍋を大洗の冬の代表料理にすることを目指し、また四季の魅力的な地元食材を町自慢のグルメとして宿泊客の夕食のメニューの目玉に据えるという企画を立ち上げ、定着させていった。
大洗町は当時60軒近くのホテル・旅館・民宿があった。当時の企画実行委員会の初代委員長だった肴屋本店の大里全さん(故人)と大洗観光協会専務理事の佐久間伸水さんらが町内の宿に声を掛けて、あんこう鍋を提供できる宿を増やすために奔走した。
あわせて冬の期間(11月〜3月)は『あんこう鍋フェア』を開催し、茨城県外の各地に観光キャラバンとして訪問。あんこう汁を振る舞うなど、継続的で粘り強いPR活動を積み重ねていく。委員長の大里全さんには、福本楼の福本隆治さん、さかなや隠居の大里則義さん、大和旅館の和田隆史さん、南荘の鬼澤正治さんなど、信頼する仲間がいた。彼ら4人は日頃から気心が知れた料理人仲間である。宿の仕事の忙しい週末や休日でも、庖丁と白衣を手にキャラバンやイベントに参加し、あんこう汁の調理を行った。あんこう鍋のミニ版である「あんこう汁」が考案され、訪れた各地で大勢の人々に振る舞われていった。
これらの活動により、冬の大洗=あんこう鍋というイメージが定着。『大洗あんこう祭』との相乗効果で、確実に知名度を上げていった。

福本楼 福本さん

さかなや隠居 大里さん

大和旅館 和田さん

南荘 鬼澤さん

大洗あんこう鍋を名物にするために。味噌仕立てでなめらかな味わいが特徴。

『大洗あんこう祭』が始まった当時、提供されるあんこう汁には味のばらつきがあった。そのため、味の統一化を図ることや品質のベースアップを目的に企画実行委員会は大洗の宿の調理人を集めて調理勉強会を行った。この中で共有されたのが、炒った肝を鍋でかえして味噌を入れること。現在多くの大洗の宿や飲食店で出会う多様なあんこう鍋の美味しさの原点は、こうした団結・協同によるものだ。
全国で見るとあんこう鍋の歴史は古く、江戸時代には食べられていた。その流れを汲むのが、主に料亭や専門店で食べられているあんこう鍋で、あっさりとしたしょう油仕立てが基本だ。一方で味噌仕立ての濃厚な漁師料理『どぶ汁』が地元に根付き食べられている地域がある。大洗あんこう鍋はそのどちらでもない。肝を使い味噌仕立てである点は『どぶ汁』と一緒だが、どちらかというとなめらかな味わいの鍋が多い。旨味は十分にありながら口当たりも食後感も良く、また食べたくなる味と大洗の宿屋は胸を張る。こうして大洗のあんこう鍋はその「食べ心地の良さ」で多くのファンを獲得している。この点で独自の食文化を生み出していると言えるだろう。

あんこうを使った郷土料理は「煮合い」か「供酢」だった

feature_09大洗の郷土料理として食べられていたのは、あんこうの「煮合い」か「供酢(ともず)」。そもそも大洗では、あんこうは狙って獲る魚ではなかった。タコ漁などをしている時に、たまたまたくさん獲れてしまう魚だった。これを地元の人は主に「煮合い」で食べていた。「煮合い」というのは、から煎りした肝と身を一緒に混ぜて煮詰めたもの。主に酒のつまみとして好まれていた。一方の「供酢」は、旅館や料理店の一品料理として出されていた。湯引きしたあんこうの身や肝を、肝と酢味噌を練り合わせたタレに付けて食べるシンプルな料理だ。あんこう鍋が広く大洗で食べられるようになったのは、案外最近のことで、平成11年(1999年)頃から。町おこしのイベント開催がきっかけだった。それまでは大洗の冬の鍋といえば寄せ鍋が定番だった。

後世に引き継がれる大洗あんこう鍋。感謝の気持ちで鮟鱇奉納庖丁式も。

大洗ホテル総料理長 青柳さん

このようにして大洗あんこう鍋は、継続的なPR活動と独自の食文化を確立したことで多くのファンを獲得した。おいしいあんこう鍋を求めて冬の大洗に大勢の人が訪れるようになった。
冬の大洗を盛り上げてくれた「あんこう」に最大級の感謝の気持ちを伝えたいと考えた人物がいた。大洗ホテルで総料理長を務める青柳裕さんである。神事として庖丁式を開催したいと考えたが、あんこうは地を這う魚ゆえに、庖丁式はやらないという古来の考え方があった。そこで知恵を絞り、あんこうの七つ道具を空の星・北斗七星に見立てることで「鰹の庖丁式」などと同じ神事として「鮟鱇奉納庖丁式」が行えることになった。
はじめは大洗ホテルだけの行事だったが、青柳さんは地域の繁栄を願う儀式にしたいと考えるようになり、当時の宿泊青年会に声を掛けて、あんこうによる庖丁式への熱い思いを語り続けた。これに心動かされ、大洗観光協会が主催となり大洗全体の行事として庖丁式が行われるようになった。
毎年大洗磯前神社境内で行われる『鮟鱇奉納庖丁式』は、平成28年(2016年)10月で開催10回目を迎えた。庖丁式をとおし、生命に対する感謝の意と、料理人の精神が後世に引き継がれていく。

『大洗あんこう鍋』の歴史を紐解くにあたって。

『大洗あんこう祭』はその後、あんこうの提供時期に合わせて、第三回を平成11年(1999年)11月に開催。以降、毎年11月に開催され現在に至っている。平成24年(2012年)開催からは大洗町が舞台として登場するアニメ『ガールズ&パンツアー』関連イベントも行われるようになった。来場者は年々増え続け、平成28年(2016年)開催では全国から約13万人が訪れている。
平成28年(2016年)12月、『大洗あんこう鍋』の立役者であり、現在もその発展のために尽力しているメンバーが集まり、座談会という形で取材を行った。今まで語られる機会の少なかった『大洗あんこう鍋』発展の歴史を、後世に伝えるためここに記す。大洗のさらなる発展を願いながら。

取材/平成28年(2016年)12月2日、里海邸金波楼本邸にて

座談会参加者(順不同)/福本楼・福本様、さかなや隠居・大里様、大和旅館・和田様、南荘・鬼澤様(4人は企画実行委員会の創設時からの中心メンバー)肴屋本店・大里様(初代企画実行委員長・大里全さんの長男)、大洗ホテル・総料理長 青柳様、大洗観光協会専務理事・佐久間様、里海邸金波楼本邸・石井様(当時の宿泊青年会会長)、大洗民宿組合長・飯田様(現在の企画実行委員会委員長)

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